誰も貧乏になりたくないでしょう?だと皆が思いますが、実際に、貧乏になろうとする人が存在しますよ。今日、九月二十七日の記念する聖人はその「貧乏になりたい」という人でした。16世紀のフランス人、聖ビンセント・ド・ポールのことです。

これを書きました:
「貧しい人が行儀(ぎょうぎ)が悪いかもしれないですが、姿や知能で判断しないで。信仰の光の中で考えれば、貧しい人は貧乏で生まれることを選んだ神のみ子の代わりになっているのです。
「苦しみの中で、主イエスは人間の姿を失ったところになってしまって、『異邦人には愚かなもの、ユダヤ人にはつまずかせるもの』なのに、貧しい人に説教するために降ったと明らかにしました。イエスは『貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私を遣わされた』と言いました。我らも同じ魂を守って、キリストの動作を真似して、貧しい人を世話して、慰めて、手伝って、支援するはずです。
「キリストが貧乏に生まれることを選んだので、貧しい弟子達を選びました。自分を貧しい人の僕としました。神様が貧しい人が大好きなので、貧しい人を助ける人も大好きです。…
「貧しい人にことを大事にするのは、他のことより私たちの役目です。貧しい人を役に立つことを神様に祈りとして捧げて。貧しい人に一生懸命(いっしょうけんめい)に仕えてください。彼ら私たちの主だからです。」

このお金と物を大事にする時代では、聖ビンセント・ド・ポールの言葉は聞きにくいですが、彼が創立した教団の修道士とシスターがまだ貧しくなって、貧しい人に仕えることを続いています。例えば、日本では、聖パウロ女子修道会がこの大事な仕事を進んでいます。

私たちは修道院ではなくても、聖ビンセントの言葉と模範を考えると、どうやってこの短い人生の間、貧しい人に仕えることができると考えれば、と思います。