Be afraid.

Immediately after the feeding of the five thousand, Jesus made his disciples get into the boat and go on ahead to the other side, to Bethsaida, while he dismissed the crowd. After saying farewell to them, he went up on the mountain to pray.

When evening came, the boat was out on the sea, and he was alone on the land. When he saw that they were straining at the oars against an adverse wind, he came towards them early in the morning, walking on the sea. He intended to pass them by. But when they saw him walking on the sea, they thought it was a ghost and cried out; for they all saw him and were terrified. But immediately he spoke to them and said, “Take heart, it is I; do not be afraid.” Then he got into the boat with them and the wind ceased. And they were utterly astounded, for they did not understand about the loaves, but their hearts were hardened.

Mark 6:45-52

Today’s supplementary texts: 2 Kings 2:1-15; Ephesians 4:1-7,11-16

“Do not be afraid,” Jesus tells his disciples, as he walks over the water and calms the waves. But of course, they are afraid. They were afraid of the sea, and we can understand that well in Japan. How much more afraid should they be of someone who can tame the sea. As afraid as Moses when God spoke those same words, “I am,” from the flaming bush, or when God “passed him by” on Mount Sinai. As afraid as Elisha, when Elijah was lifted up by the wind of God. “The power that yields to no power of nature,” as Kant put it, is truly terrifying.

Yet fear of God, said Solomon, is the beginning of Wisdom. God is a vast ocean of love so wide that we can never see beyond the horizon, and so deep that we can never reach the seabed. And while love offers comfort, certainly it is a fearful thing. The unknowability of its depths is what makes Love so terrifying. Did the Buddha not say, he who has a thousand loves has a thousand sufferings? Yes, and we Christians embrace all thousand of them, we swim among them, even at risk of drowning; because we, like Saint Augustine, know that our hearts are restless until they their rest in God. When we fear God, we are at rest, because we need fear nothing in this world.

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難民の日曜日

かつて、フランス人の哲学者サルトルは「L’infer, c’est les autres」、つまり「地獄は他人だ。」と言いました。しかし、私はそうではなく、イギリスの作家で『ナルニア国物語』の著者、C.S.Lewisが言い表す、「地獄は自分で作る牢獄であり、その鍵はドアの中にある。」という考え方のほうがずっと好きです。そうです、地獄とは自分の心を牢獄にしてしまうことにほかなりません。私たちを地獄に閉じ込めるのは神様ではなく、私たち自身なのです。そしてその一方で、私たち自身の心の中に牢獄の扉の鍵があります。その鍵は自分自身と他人との関係そのものであり、私たちの周囲にいる他人は「地獄」ではなくて、むしろ天国への鍵なのです。

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悪霊は黙る

今日の福音に出るイエスは日曜学校の絵本の中に描かけるイエスではなく、呪術使いの様に見えるようです。悪霊を追い出していました。イエスの自分の家族は彼が「気が変になっている」と言って、イエスを取り押さえようとしました。現在社会において、私が「悪霊」が存在すると言ったら、皆様は私が「気が変になってる」と思うかも知れないけど、確かに、争いの霊、分裂の霊、憎みの霊は、まだ力強さを保っています。私たちの中にある、「その人は私より金持ち・綺麗・勉強上手」、比較の声も「悪霊」の声と言えないでしょうか?また「私の物や家族や国は、他の人のより大事だ」と言う声は、私たちから、他人、隣人、敵への愛を忘れさせる危険があります。自分の家族、国などを大事にすることは良いことですが、それを大事にし過ぎれば、最悪の場合、差別と争いの状態を作り出します。

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宇宙は聖歌隊

音楽はどういう意味でしょうか?ただ、楽しむためだけですか?もちろん、音楽を楽しむことは良いですが、もっと深い意味があると思います。古代の哲学者プラトンによると、音楽の勉強は教育の基本とするはずです。

水の面を動いていた霊/The Spirit that hovered over the face of the waters

初めに神は天土地を創造された。地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた「光あれ」。すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を放ると呼び、闇を夜と呼ばれた。夕があり、朝があった。第一の日である。

創世記1:1〜

昨日は精霊降臨日だったので、なぜ私が特別にこの朗読を選んだのか?このテキストが何時、そしてなぜ書かられたかと考えたら良いと思います。

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無名の弟子

そのとき、21・20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

ヨハネ21・20-25

この「イエスの愛しておれれた弟子」は誰でしょうか?福音はその弟子の名前を表さない。聖ヨハネの福音の泣けで、この「愛しておられた弟子」は4回出るが、毎回無名です。

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「真実の物語」

「スマスリク」という言葉をご存知ですか?ごん存じなら、私がびっくりします。自分で作った言葉だからです。「スマスリク」というのは、逆から書いた「クリスマス」です。それは先週お祭りした「昇天日」の意味です。すなわち、昇天日はクリスマスの逆です。簡単に説明すれば、クリスマスで、主イエスの生まれた日なので、神が天国から降って人間になったことで、昇天日はその反対に、人間になった神はまた天国に昇ったことです。

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